Seian Gallery
厳選された工芸作品のご紹介
日本全国から厳選した作品をご紹介致します
北大路魯山人作 備前筒茶碗
器胴に掻き銘(ロ)1956年頃
魯山人晩年期には備前焼の人間国宝 金重陶陽とも親交を深め、鎌倉に備前焼の窯を作るほどに没頭したと言われている。 自身の芸術の集大成として挑んだ備前焼作品です
岡部嶺男 鼠志野花瓶
Yahoo
人間国宝 金重陶陽作 備前茶碗
金重 陶陽(かねしげ とうよう、1896年(明治29年)1月3日 - 1967年(昭和42年)11月6日)は、岡山県出身の陶芸家。備前焼の名門である金重家に生まれ、備前の陶工として初めて人間国宝となった。本名は金重 勇(かねしげ いさむ)。備前焼を再興させることに成功し「備前焼中興の祖」と称される。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から次々と人間国宝を輩出するなど備前焼の歴史上果たした功績は計り知れない。陶陽の弟の金重素山、長男の金重道明、三男の金重晃介もそれぞれ陶芸家である。また、漂泊北大路魯山人やイサム・ノグチらとも親交があり、彼らの芸術性に影響を受けた一方、彼らが備前焼を世に知らしめる役割を果たしている。
Yahoo
河井寛次郎作 辰砂染付円窓草花文大皿
丸印(寛) 在印 口径40cm
This is an ideal piece for museum display.
明治23(1890)年8月24日島根県安来に生まれる。東京高等工業学校窯業科に入学。大正3(1914)年、京都陶磁器試験所に入所。大正9(1920)年、現在の記念館の地、五条坂に住居と窯を持つ大正10(1921)年、「第一回創作陶磁展」を開催、以降生涯にわたり、作品を発表。 作風は大きく、三期に分けられる。中国古陶磁を範とした初期、「用の美」の中期、「造形」の後期。昭和12(1937)年に自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)昭和41年没
Yahoo
人間国宝 鈴木蔵 パリ展帰国記念展
朝日新聞社主催のパリ展帰国記念展 同展図録掲載
人間国宝 鈴木藏作 志野大皿 幅約60cm
日本を代表する陶芸家、鈴木藏(1934〜)。荒川豊蔵(1894〜1985)に続き二人目の「志野」における重要無形文化財保持者(人間国宝)
鈴木藏は岐阜県土岐市に生まれ、多治見市市之倉町の丸幸陶苑に勤務する父の助手として働くなかで、本格的にやきものづくりの道へと進むことになる。1966年に31歳で独立し、薪窯でしか焼けないとされていた「志野」にガス窯で挑戦し、伝統を大切にした中から独自の作陶スタイルを確立している。
Yahoo
北大路魯山人作赤絵染付海老絵鉢
北大路魯山人は、独自の美意識と技術を持つ陶芸家として非常に有名で、特に美しい器のデザインで知られています。食器は料理を引き立てる重要な要素だと考え、彼の作品は現在も高く評価されています。
北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)は、本名:北大路 房次郎〈きたおおじ ふさじろう〉、1883年〈明治16年〉3月23日 - 1959年〈昭和34年〉
日本の芸術家、陶芸家、書道家、篆刻家、そして美食家として知られる人物です.
人間国宝 荒川豊蔵
人間国宝、荒川豊蔵(明治27年~昭和60年/1894~1985)は、昭和を代表する陶芸家のひとりです。
岐阜県多治見出身の豊蔵は、京都宮永東山窯の工場長を経て、昭和5年(1930)、現在の可児市久々利大萱で、志野の筍絵筒茶碗の陶片を発見したことから、志野、黄瀬戸、瀬戸黒といった桃山時代のやきものが美濃(岐阜)産であることを実証し、以後、大萱に窯を築いて桃山の志野復興に生涯を費やします。昭和30年(1955)には国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、また昭和46年(1971)には文化勲章を受章しました。
人間国宝加藤孝造作 瀬戸黒茶碗
人間国宝指定後作
加藤孝造作陶展図録 P 1 ページ掲載
2009年(平成21年)日本陶芸協会賞金賞を受賞する。同年から社団法人美濃陶芸協会名誉顧問]。2010年(平成22年)「瀬戸黒」 重要無形文化財保持者 (人間国宝)に認定される。2012年(平成24年)旭日小綬章受章し同年瑞浪市の名誉市民に選ばれる。2013年(平成25年)に多治見市名誉市民に推挙され可児市名誉市民にも選ばれた。2023年没
星庵関連リンク
SHOP・Yahoooオークション
当社のYahoo オークション出品の作品は厳重な検品・鑑定済みの信頼作品です、全ての作品は保証付きです。